マイクロソフト社とトランジスタ式コンピュータ
商業用に販売されるコンピュータとして、トランジスタ式コンピュータが現役であったのは1970年代の前半ごろまでです。
この時期は、現在のパソコンに関連した企業の創業期にあたります。
その代表的な企業がマイクロソフト社ですが、マイクロソフト社とトランジスタ式コンピュータとは接点があります。
マイクロソフト社の創業者はビル・ゲイツとポール・アレンですが、彼らがコンピュータに触れたのは、中学・高校時代です。
彼らは、シアトルにあるレイクサイドスクールという私立高校に通っていました。
ここは、学費が高く、それなりの社会的地位にある人の子息が通う学校でした。
1968年に、この学校で、子供にコンピュータに触れる機会を与えようということになり、ジェネラル・エレクトリック社のGE-635というコンピュータを時間借りすることになりました。
その後、CCCという会社にあった、DEC社のPDP-10というコンピュータを、夜間や週末に無料で使えることになりました。
ビル・ゲイツとポール・アレンは、このPDP-10を通じてプログラミングの技術を独学で学んでいきます。
このPDP-10というコンピュータがトランジスタ式のコンピュータです。
彼らは、トランジスタ式コンピュータで、プログラミングを覚えたのです。
その意味で、トランジスタ式コンピュータはビル・ゲイツと関わりがあります。
ただ、この時点では、企業としてのマイクロソフト社はまだ存在していません。
彼らが使っていたPDP-10は36ビットのコンピュータで、1967年に発売されたものです。
TOPS-10というOSの上でFortranやBasicなどの様々な言語が動作していました。
ビル・ゲイツが高校生の時に、彼らはトラフォデータというグループを結成し、交通量計測を自動的に行うシステムの開発をはじめました。
その際に、PDP-10上にインテルの8ビットCPUである8008のエミュレータを作って、8008で作成する予定の計測機用のソフトウエア開発を行いました。
当時はまだパソコンというものが存在せず、インテルのCPUを使うというのは、現在のPICを使うような感じだったのでしょう。
当時のちゃんとしたコンピュータであるPDP-10上での、いわばクロス開発を行っていたわけです。
その後、ビル・ゲイツはハーバード大学に進学し、ポール・アレンもハーバード大学と同じボストンにある会社に就職します。
天下のハーバード大学に入学しているわけですから、ビル・ゲイツはコンピュータ以外の勉強もちゃんとしていたのでしょう。
アメリカの大学の入学試験は日本の大学入試と異なり、SATという共通テストにおいて多数の科目でまんべんなく良い点を取る必要があります。
そのほかに、内申書のようなものの評価も必要です。
日本の公立高校の入試に近いと言えるかもしれません。
こういったハードルを越えて、ハーバード大学に入学したわけです。
このことからすると、単純にコンピュータにのめり込んで、他のことを全くしなくなるという子供ではなかったようです。
進学その他にあたって、両親とトラブルになったという話もなく、意外と素直な子供であったことがうかがえます。
さて、ビル・ゲイツが大学生であった1974年の末に、ポピュラーエレクトロニクスという雑誌に、Altairというコンピュータキットの記事が載ります。
これを読んで、個人でもコンピュータが買える時代が来ると考えた彼らは、Altair向けのBasicを開発し、Altairの開発元であるMITS社に売り込むのに成功します。
数年が経過した1977年、ソフトウエア事業が軌道に乗ってきたのを見届けたビル・ゲイツはハーバード大学を休学し、ポール・アレンと共同で、マイクロソフトという屋号で個人事業を開始します。(2人で個人事業というのは少々変な言い方ですが、そういうシステムがアメリカにはあります。)
この個人事業は4年後に法人化され、マイクロソフト社になります。
このAltair向けBasicの開発に使われたのもPDP-10です。
ちょうど、当時のハーバード大学に、彼らが使い慣れたPDP-10があったので、それを使ってAltairのCPUであるインテルの8080のエミュレータをPDP-10上に作り、その上で開発を進めたのです。
このハーバード大学のPDP-10もトランジスタ式であったと思われます。
PDP-10は、1967年にトランジスタ式の初期型が発売されています。
その後、1973年に改良型が発売され、これはトランジスタ式ではなく、汎用ロジックICを使用して作られています。
ですから、ビル・ゲイツの中学・高校時代である1960年代末から1970年代初頭に、彼らが使っていたPDP-10は、間違いなく初期型のトランジスタ式です。
しかし、彼らがBasicの開発を行った1974年末から1975年初頭は、改良型のPDP-10の発売後です。
ですから、彼らがBasicの開発に用いたPDP-10がトランジスタ式であったかどうかは、年号だけからははっきりせず、別途資料が必要です。
PDP-10の販売先のリストをみると、ハーバード大学が購入したものは、シリアル番号6のKA10とシリアル番号2393のKL10です。
KA10というのが、初期バージョンのトランジスタ式、KL10が改良型の汎用ロジックIC式です。
ただ、KL10の方は、ハーバードのビジネススクールが購入しており、一般の学部学生が使用できた可能性は低いです。
また、KL10は、汎用ロジックICを用いた改良型の更に改良型になり、1975年に発売されたものです。
2393という大きなシリアル番号から、KL10は1975年にはハーバード大学には導入されていなかったとみられます。
以上から、ビル・ゲイツらがAltair向けのBasic開発のために使い始めたPDP-10はトランジスタ式であったと思われます。
このように、トランジスタ式コンピュータはマイクロソフトが個人事業として創業されたときに使われたコンピュータなのです。
ただし、彼らが、自分たちの使っているコンピュータがトランジスタ式であると認識していた可能性は低いと思われます。
ソフトウエアへの関心が高い彼らにとっては、TOPS-10などのOSが動いていればそれでよく、ハードウェアを構成する部品などには関心はないか、あっても低かったでしょう。
実際にPDP-10を使用する際にも、テレタイプ端末を用いて遠隔操作していたらしく、もしかしたらハーバード大学の実機を見たこともなかったかもしれません。
ポール・アレンは、現在、PDP-10を、個人で3台保有しています。
これらは、動作している状態を見ることができ、一般の人が触って操作することも許可されています。
そのほかにも、前述のAltairを含めた歴史的なコンピュータを多数保有し、Living Computer Museumというものを作って一般公開しています。
桁違いの金持ちだけに、道楽もスケールが違います。
以上、マイクロソフト社とトランジスタ式コンピュータの関わりという、もしかしたら、へぇ、と思ってもらえるかもしれない話題でした。
前回へ 次回へ