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ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part 8

この本に書いてあることのうちで、その他目立ったことを、以下に整理します。

・テレタイプ端末もリースである
P47:母親会は、バザーの売り上げをコンピュータに使うことを承諾してくれ、その資金でテレプリンタ端末をリースすることができた。
 テレタイプ端末は、購入したのではなく、リースでした。

・CCCから締め出しを受けていた時期について
P72: その年の春の終わりごろ、ビルと私はCCCのコンピュータの管理者パスワードを突き止めた。

P74:私たちの罪は、11年生の秋になってようやく許された。
から、CCCから締め出されていた期間は、1969年の春の終わりごろから秋の始まりごろまでであることがわかります。正確な日付は不明ですが、1969年6月ごろ〜1969年9月ごろ、といったところでしょう。

・BASICコンパイラの改良について

 上記の、11年生の秋に罪が許されたという記述の直後に、
P72:スティーブ・ラッセルは私に、一つの取引を申し出た。BASICコンパイラの品質を向上させることを条件に、無料で自由にコンピュータを使わせくれるというのだ。

P72:DECのソフトウェアはすべてそうだったが、PDP-10のBASICコンパイラも、ユーザーにソースコードが公開され、自由に修正、拡張ができた。元はなかった機能を新たに追加することも自由にできるのだ。私が引き受けた仕事はまさにそれだった。
と書かれています。この時点でBASIC言語処理系の知識を得ています。この経験は、後にAltair向けのBASICインタプリタを作るときに役立ったでしょう。

 なお、このオファーはポール・アレンに対してだけなされたようで、ビル・ゲイツに対してはされなかったようです。その時点での二人の力量の差や、人として話をしやすいかどうかなどが関連していたのかもしれません。実際、
P70:数週間かけて私は、アセンブラプログラミング習得に向かって最初の小さな一歩を踏み出した。ある程度、習得したと自分で思えるようなるまでには、さらに数ヵ月もの時間がかかった。ビルや他の仲間たちにも「これ、すごく面白いよ」と話したのだが、彼らは、高級言語に夢中になっていて、アセンブラにはあまり興味を示さない。
と書かれています。この時点でのポール・アレンとビル・ゲイツの2年の年齢差は大きかったのでしょう。


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