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ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part11

・ポール・アレンがマイクロソフトを辞める際、なぜビル・ゲイツはポール・アレンにそのまま株を持たせていたのか

 ポール・アレンは1983年にマイクロソフトを辞めますが、その後もマイクロソフトの株を保有し続け、後にマイクロソフトの株価が上がり大金持ちになります。

 しかし、なぜビル・ゲイツは、ポール・アレンが退職後時にマイクロソフト社の株を買い取らず、持ち続けることを許したのでしょうか。最後には友情を選んだのでしょうか。だとしたら、ビル・ゲイツも案外悪いやつではないということになります。

 でも、友情とビジネスは別のはずです。仮に、どこかのハゲタカファンドが、ポール・アレンから高値でマイクロソフト社の株を買い取って、マイクロソフトに揺さぶりをかけてきたりしたら、ビル・ゲイツはその対応にかなりのエネルギーを費やさねばならなくなります。株を法外な高値で買い取ってくれなどという要求をされる恐れもあります。そういう芽は早めに摘んでおくべきでしょう。にもかかわらず、ポール・アレンはなぜその後も株を持ち続けられたのでしょうか。

 これについては、以下の記述があります。
P265: 私の株の買い取り額を提示してきた。1株5ドルという安さだ。

P265: ビルにはこう反論した。「もちろん、私は株を売りたくない。1株10ドル以上でなければ、話し合うつもりもない」

P265:「あり得ない」ビルはそう言った。案の定だ。それで話は終わってしまった。ビルがこの時、出し惜しみをしたおかげで、結果的に私は得をすることになった。もし彼が、要求どおりでなくてもそれに近い額を提示していれば、私はすぐに株を手放しただろう。
 つまり、ビル・ゲイツはポール・アレンから株を買い取ろうとしたが、金額をケチったために合意に至らなかったということです。

 また、次のようなことも書かれています。
P265:元々、互いの間に「妥協しがたい相違」が生じた場合には、ビルは私に株の売却を強制できるとされていた

P265: マイクロソフトが1981年に法人化したことで、パートナーシップを設立した時の合意は無効になっている。
 マイクロソフトが、ビル・ゲイツとポール・アレンの共同事業であったときであれば、ビル・ゲイツはポール・アレンの株を強制的に買い取ることができたということです。しかし、その後会社組織になったため、そのようなことはできなくなったということです。

 最終的に、ポール・アレンがその後もマイクロソフト社の株を持ち続け、どこかのハゲタカファンドに売ることがなかったのは、ビル・ゲイツにとって幸運であったということになります。次のような記述があります。
P299:いろいろな人から、持ち株を売却して分散投資しろというアドバイスを受けていたが、私は一切耳を貸さなかった。
「アドバイス」と書かれてはいますが、実際にはハゲタカファンドが買い取りたいと言ってきたケースもあったかもしれません。それでも、ポール・アレンがマイクロソフト社の成長を確信し、株を持ち続けてくれたのは幸運であったというしかないと思います。


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