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UNIX初期の歴史再検証 --- Part13

・3次資料から読み取れること

 まずは、書籍"A Quarter Century of UNIX"です。
 基本的には、この書籍には、これまで見てきたことを裏付けることが書かれています。
 たとえば、P35には、PDP-11を手に入れた時の話として、

We got the PDP-11 very early. It came during the summer of 1970.

と書かれており、P36には

We knew there was a scam going on - we'd promised a word processing system, not an operating system.

と書かれています。
いずれもリッチーの言葉として引用されているものです。
バージョン1のUNIXが、ワープロ作成を口実として作られたものであることがわかります。

P138には、ケン・トンプソンが語ったこととして、

The first thing to realize is that the outside world ran on releases of UNIX (V4, V5, V6, V7) but we did not. Our view was continuum.

と書かれています。
これは、ケン・トンプソンが明確なバージョンの概念を持っていなかったことを裏付けるものです。

 また、バージョン0のUNIXの作成に使われたPDP-7について、P10に、

The PDP-7 belonged to Joe Condon's group. It had been "bought for a graphics something-or-other that Bill Ninke wanted to do"

という、Steven Bourneという人物の言葉が書かれています。
ただ、ここに出てくるJoe CondonやBill Ninkeという人物がどういう人なのかは書かれていません。

 P75には、O'Dellという人の語ったこととして、

I phoned Bell Labs and actually spoke to Dennis Ritchie, and said that we didn't have a PDP-11, but we had a 9 and could we get the PDP-7 version and port it? And Dennis said that he didn't think that was a good idea.

と書かれています。
これは1974年の夏のことであったと、この前の箇所に書かれていて、そのころにはリッチーたちは、5年前にPDP-7上で動いていたバージョン0のUNIXにはもはや関心を持っていなかったでしょうから、妥当な反応が返ってきたということでしょう。
また、PDP-9上での動作実績がなかったことがうかがわれます。

 P45には、1973年のACMの研究会発表において、

Thompson, who gave the paper, told me:
The audience was several hundred…

と、トンプソンが"The UNIX Time-Sharing System"の主たる著者であり、講演を行った人物であることがわかります。

 ベル研の外にUNIXが出た時期について、P119に

First, here's Professor George Coulouris of Queen Mary College (now Queen Mary and Westfiled College). I asked him how QMC has gotten V4 in late 1973.

と書かれており、1973年の末にバージョン4がベル研の外に出ていたことがわかります。
 なお、P44, P45には、

The first user outside of central New Jersey was Neil Groundwater, then at New York Telephone

In the summer of 1972 the hardware for the New York site arrived

と書かれており、ニューヨークに1972年にUNIXが持ち出されていたことが分かります。
ただ、この人物は電話会社に勤務しており、基本的にはベル研とは身内という関係にある上に、P45にはほぼ毎日ベル研に出入りしていたことが書かれています。
時期的に見てこのUNIXはバージョン2であると思われますが、これをもってバージョン2がベル研の外に持ち出されたといってよいかどうかは微妙なところです。

 このように、2次資料までの内容を裏付けることが書かれている一方で、間違っていると思われる記述もあります。

 先に書いた、バージョンに関する記述の他に、P92には

Roberts told me:
 By early 1970 I knew there was a UNIX on the PDP-11, implemented in B.

と書かれており、B言語でUNIXが書かれていたという記述があります。
しかし、1.1次資料である The Evolution of the Unix Time-sharing System には、

Only passing thought was given to rewriting the operating system in B rather than assembler

と書かれており、B言語でUNIXが書かれていたという記述は正しくありません。
この内容を語ったのはRobertsという人物であり、書籍の著者が悪いわけではないとも言えますが、間違った記述であることには違いありません。


 最後に、http://museum.cs.kuleuven.be/pdp/unix-E.htmlを見ます。
ここには、1977年にPDP-11/60上でUNIX バージョン6を動かしたことなどが書かれています。
1.1次資料である、"The UNIX Time-Sharing System"の記述である、

The third incorporated multiprogramming and ran on the PDP-11/34, /40, /45, /60, and /70 computers

の内容を裏付けるものです。ただし、ケン・トンプソンたちが、当時このことを知っていたかどうかは不明です。



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