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小林秀雄と真空管式コンピュータ

 小林秀雄は、言わずと知れた文芸評論の大家です。

 彼の随筆に「常識」というものがあります。「考へるヒント」という短編集に収録されており、文庫で手軽に読めます。

 その随筆に、小林秀雄がコンピュータを見学に行った話が出てきます。
知人が、将棋ができるという「電子頭脳」があると聞いて、ぜひ行ってみたいというので一緒に行った。
ところが、電子頭脳はあったものの、将棋をさす研究はしていないということで一同大笑いになった。
という話です。このコンピュータは何だったのでしょうか。

 これはもしかして、伝説のIBM System/360ではないだろうか。IBM 360はトランジスタ式コンピュータだったはず。
「小林秀雄とトランジスタ式コンピュータ」というブログが書けるかも。調べてみよう。
ということで調べてみました。

 まず、小林秀雄たちが見学に行った場所は、原子核研究所という所です。
これは東京都田無市にあった研究施設で、俗に「核研」と呼ばれていました。
「いました」というのは、現在では筑波の高エネルギー研究所(KEK)に吸収されて消滅しているからです。
田無にあった施設の跡地は現在は公園になっています。

 この核研が設立されたのは昭和30年、1955年です。
IBM System/360は1964年のものですので、時代が違います。
IBMで、1955年以前に作られたコンピュータというと、1953年のIBM 702, 1954年のIBM 704あたりです。
どちらも、思いっきり真空管式コンピュータでして、トランジスタが使われていたらしき形跡はありません。
一部の回路にでもトランジスタが使われていなかったかと、いろいろ文献を当たってみましたが、明確な証拠は見つけ出せませんでした。

 IBMではなくUNIVAC 1103あたりだった可能性もあります。でもこれも真空管式です。

 トランジスタ式コンピュータが最初に作られたのは1953年のイギリス、マンチェスター大学で作られた試作機です。
マシンの名前はわかっていません。試作機ですから、最初から名前なんてなかったのかもしれません。

 「名あり」のトランジスタ式コンピュータの最初は、前回のUNIXの話でも出てきたベル研究所で1954年に作られたTRADICというコンピュータです。
ただ、真空管も一部には使われており、トランジスタだけで作られていたわけではありません。
また、これは研究として作られたマシンであり、商業用に売り出されてはいません。
TRADICが核研に持ち込まれた可能性はゼロです。

 トランジスタ式コンピュータが本格的に商業的に販売されるのは1960年になってからです。
結局のところ、核研のコンピュータが何であったのか特定はできませんでした。
ですが、機種は何であれ、1955年のコンピュータは真空管式で間違いなさそうです。
残念ながら、どう転んでも、「小林秀雄とトランジスタ式コンピュータ」とは言えないようです。

 そういうわけで、今回のタイトルは、「小林秀雄と真空管式コンピュータ」です。

 さて、前述の「大笑いになった」話は、「常識」の前座の話でして、本題はその後に来ます。
これが少々考えさせられる話です。

 まず、彼は「大笑い」はしたものの、後で考えてみるとわからなくなりました。
仮に、コンピュータがものすごく高性能で、すべての手を読み切れればどうなるのか。
そういうコンピュータ同士で対戦をさせたらどうなるのか。
ちなみに、小林秀雄はコンピュータが高性能という言い方はしておらず、「将棋の神様」がいたら、と書いていますが、内容は同じことです。

 で、わからなくなって原稿を書くのも進まない。そんなときに、銀座で飲んでいたら、旧知の物理学者である中谷宇吉郎氏に出会った。
これ幸いと、質問してみた。
オイオイ、小林秀雄って写真では難しい顔で写っているけど、夜な夜な銀座で遊び歩いてたの? 

ってなことは、ともかく、中谷氏に聞いたことは、
 将棋の手の数は有限だから、全部の手が読めれば、先手・後手だけで勝敗が決まるか、あるいは千日手になるかで正しいか
ということ。中谷氏の答えは、「それで正しい。」

 小林秀雄は、それを聞いて、「常識と一致した」から「安心」します。
 「常識を守るのは難しい」と彼は書きます。科学が進歩し、いろいろな専門家がいろいろなことを言っているが、それを常識に照らし合わせて正しいかどうかを自分自身でちゃんと考えないといけない。
「機械は高速に計算はできるかもしれないが、人間のように考えることはできない。これが常識だ。
常識に照らし合わせて判断し、それと専門家の意見が一致したから安心した。」ということが書いてあります。
少なくとも私にはそう読めます。

 この言い分には、確かに一理あります。
私たちも、回路を組むなり、ソフトを作るなりする際に、あらかじめ結果に対する定性的な予測を立てます。
そして、得られた最終的な定量的データを定性的な予測と照らし合わせ、合致しているかを確認します。
合致しない場合には、何が問題かを突き止めねばなりません。

 定性的な予測というのは、過去の様々な経験に基づくものなので、だてではなく、たいていは定量的なデータに問題があります。
定性的な予測を「常識」と思えば、常識と合致するまで考えないといけないわけです。

 ただ、問題は、定性的な予測が常に正しいわけでもない、ということです。
とことん追求してみると、時には定性的な予測が間違っていたということもあります。

 その場合には、経験すなわち「常識」のほうをアップデートしていくことになります。 「常識」と一致することが、絶対的に安心とは言えないのではないでしょうか。

 そもそも、「機械は高速に計算できるだけだが、人間は考えることができる」という二元論的な「常識」思考は、少なくとも現在の視点で見れば問題があります。
現在ではコンピュータがプロの棋士を打ち負かすまでになっており、「大笑い」できる人はいないでしょう。
その意味で、人間が考えていることの本質は、高速な計算と変わらないとも言えます。
「考える」ということがどういうことなのか、「高速な計算」と本質的に異なるのか、そうではないのか、は自明ではありません。

 「常識」と合致しないときこそ、本当に考えないといけない時なのではないでしょうか。

 ちなみに、私は、以下の3カ条を心がけています。
まあ、たいがい誰でもそうしているであろうことで、エラソーに言うことではないかもしれませんが。

1. 定性的評価と定量的評価は一致しなければならない
 ---前述のように、一致しない場合にはとことん追求することになります。
2. 可能な限り独立な複数の手段でクロスチェックせねばならない
 ---回路を作るときは、まず、紙と鉛筆で書いて何度も検証します。それと別に回路シミュレータでも検証します。
 ---ソフトを作る際には、ハンドアセンブルとアセンブラの吐き出す結果を比較検討し、矛盾がないか、最適解になっているかを検証します。
3. 自分は信用できない
 ---教科書等と異なる結果が出た場合、ほぼ100%自分が間違っています。長年積み上げてきた人類の叡智はだてではありません。
 ---パーツに不具合がある場合、初期不良ではなく、ほぼ100%自分が壊したと思ってよいです。たいてい、身に覚えがあります。
 ---秋元康氏が、「常識を打ち破らねば面白いものは出てこない。でも気をつけないといけないのは、90%は先人の教えのほうが正しいことだ。」と新聞に書いていました。でも、90%ってのがすごい。私なら99%かなあ。

 で、話を元に戻すと、繰り返しになりますが、小林秀雄のように、「常識と一致したから安心した」では、時として判断を誤るのではないでしょうか。

 まあ、当時の時代状況や、小林秀雄がコンピュータの原理を理解したうえで書いているわけではないことを考えると、ある程度仕方がない部分があるかもしれません。




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