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UNIXとトランジスタ式コンピュータ
UNIXは1969年に開発されたOSで、移植性の高いOSとして、その後の情報技術に多大な影響を与えています。
AndroidもiOSもMacOS Xも、すべてUNIXの系統のOSです。
このUNIXがトランジスタ式コンピュータと接点を持っています。
UNIXは1969年にAT&Tのベル研究所で誕生しましたが、これにはちょっとした事情があります。
当時ベル研究所は、Multicsプロジェクトというものにかかわっていました。
これは次世代OSを開発しようというプロジェクトで、マサチューセッツ工科大学が中心となって、ジェネラル・エレクトリック社やベル研究所などと共同で、最新の機能を多数盛り込んだOSを開発しようとするものでした。
しかし、野心的すぎるこのプロジェクトは、規模が大きくなりすぎ、進展せず、1969年にベル研究所は撤退を決意します。
野心的すぎるプロジェクトが失敗するという事例は、この後も多発します。
IBM社とマイクロソフト社の共同開発OSであるOS/2や、Intel社のiAPXというCPUなどが代表例で、機能をてんこ盛りにした結果収拾がつかなくなり、開発が大幅に遅延し、どうにか出来上がった製品もほとんど使われずに消えて行きました。
さて、ベル研究所からこのMulticsプロジェクトに参加していたのが、ケン・トンプソンとデニス・リッチーという人物です。
当時、彼らはMulticsプロジェクトから撤退して、することがなくなり、ヒマを持て余していました。
ケン・トンプソンは、Multicsで得た経験を何かに活かせないかと思いました。
彼は、Multicsプロジェクトで作成したSpace Travelというゲームを、DEC社製のPDP-7というコンピュータに移植した経験があり、PDP-7に慣れていました。
もともとは、暇つぶしで作ったゲームでしたが、Multicsプロジェクトで使われていたジェネラル・エレクトリック社製のGE-635というコンピュータ上でゲームを動かすと、
形式的に課金されるなど、何をしたかを監視されるしくみになっており、これを回避するために、監視の行き届かない、PDP-7に移植したものでした。
このPDP-7は、本来は別の部署にあったものですが、所有者に聞くと、もう使う予定はないから好きにしていいよと言われたので、借り受けてゲーム専用機にしてしまったということのようです。
そういうわけで、手元にPDP-7があったため、Multicsの経験を活かして、このPDP-7向けの軽量OSの開発を開始しました。
こうして最初のUNIXが誕生しました。Multicsをもじって(おそらく当初はマルチプログラミング環境ではなく一つのプログラムしか動かせなかったことから)MultiをUniに変えて、Unicsと名づけられましたが、ほどなくしてUNIXと書かれるようになりました。
このUNIXの開発に使われたPDP-7というコンピュータがトランジスタ式のコンピュータです。
UNIXの母体はトランジスタ式コンピュータだったのです。
しかしながら、このPDP-7はしょせん借り物でした。
発売は1965年と古く、メモリーは8Kワード(約16Kバイト)で、後継製品のトランジスタ式コンピュータであるPDP-9が1967年に発売になるなど、当時としては相当に非力なマシンでした。
だれも使わずに放置されていたわけですから、まあ、そんなものでしょう。
彼らは、自分たち専用のマシンがほしいと思い。ベル研究所に購入依頼を何度も行います。
その中には、前々回に取り上げた、ビル・ゲイツ達がマイクロソフトの創業時に使ったトランジスタ式コンピュータである、DEC社のPDP-10も含まれていました。
しかしながら、彼らの要望はことごとく却下されます。
当時を回想して、リッチーは以下のように書いています。私の翻訳と原文を共に載せます。
提案は却下されました。噂によると、研究部門担当の副所長であったW.O.Baker氏は、「こういうのはウチのすることじゃない」と言ったそうです。
実際のところ、今にして思えば明らかなのですが(というより当時から明らかだったはずですが)、私たちは研究所に対し、著しく不明瞭で、著しく利用者の少ないことに、著しく多額の資金を要求していました。さらに、当時の上層部にとって、OSというものは資金を投入するだけの魅力が感じられないものであったのは確実でした。
The proposal was rejected, and rumor soon had it that W. O. Baker (then vice-president of Research) had reacted to it with the comment `Bell Laboratories just doesn't do business this way!'
Actually, it is perfectly obvious in retrospect (and should have been at the time) that we were asking the Labs to spend too much money on too few people with too vague a plan. Moreover, I am quite sure that at that time operating systems were not, for our management, an attractive area in which to support work.
http://www.bell-labs.com/usr/dmr/www/hist.htmlに原文があります。
「こういうのはウチのすることじゃない。」とは結構な言われようです。
聞いているこっちが冷や汗が出そうです。
せち辛い今のアメリカ企業なら、部門ごとリストラとなりかねません。
しかし、当時のアメリカにはそう簡単にリストラをしない余裕がありました。
結局、いろいろあった挙句に、特許部門の書類作成支援システムを作るという名目で、DEC社のPDP-11を購入してもらうことに成功します。
FullTr-11が数字だけあやかっている、伝説の名機です。
これは、最低価格9,300ドルというコンピュータで、いわゆるミニコンと呼ばれる範疇に属するものです。
今の日本円に換算すると100万円程度ですが、当時の物価水準からすると、500万円くらいの感覚です。
彼らが以前に要望していたPDP-10は標準価格が500,000ドルであったことと比べると、1桁違いの安さであったことが決め手でした。
もっともこれは最低価格であり、実際に使うとなるといろいろな周辺機器を付けて、この3倍から5倍程度の価格になったようです。
いろいろあったものの、とにかく彼らはPDP-11を手に入れ、その上にUNIXを移植します。
そして当初の約束通り、UNIXの上で書類作成支援システムを作成し、特許部門に引き渡します。
この結果に満足した特許部門は、このPDP-11を引き取ると同時に、別途2台の最新型PDP-11を購入する資金を提供してくれました。
このPDP-11で動く最初のUNIXは現在復元されています。
こちらのページ
を参考にして必要なファイルを入手し、pdp11.exeというPDP-11のハードウェアシミュレータの上で動作させることができます。
PDP-11はトランジスタ式コンピュータではなく、汎用ロジックICで作られています。
その意味で、UNIXの生まれはトランジスタ式コンピュータですが、育ちは汎用ロジックICによるコンピュータです。
残念ながら、トランジスタ式コンピュータであるPDP-7上で作られた最初のUNIXは、現在残っていないようです。(2017/9/8追記: 2016年に、PDP-7上で作られたUNIXのソースコードが発見され、OCRで読みとられて、動作する形で復元されています。)
リッチーは、このPDP-7上で作られたUNIXは、PDP-11に移植された最初のUNIXとほとんど同じものであったと言っています。
UNIXやC言語を生み出し、その他トランジスタの発明などさまざまな基礎研究の成果をあげ、13人ものノーベル物理学賞受賞者を輩出した偉大なるベル研究所ですが、短期的な利益を追求する方向に変化していったアメリカ社会の流れに逆らえず、2008年に基礎研究から撤退します。
PDP-11などの名機を送りだしたDEC社も、その後の時代の変化に取り残され、1992年には、創業者であり常に会社を牽引してきたケン・オルセンが社を去ります。
1997年にDEC社はコンパック社に吸収されて消滅します。そのコンパック社も経営が行き詰まり、ヒューレット・パッカード社に買収されてしまいます。
リッチーは2011年に死去しています。
この前後には、パソコン誕生前後の歴史を彩る人物が多数世を去っています。
2011年にはスティーブ・ジョブズが、そして、DEC社のケン・オルセンも同じ2011年に死去しています。
前年の2010年には前回取り上げたエド・ロバーツが死去しています。
絶頂で死去した人、敗者と言われる状況になって静かに人生を終えた人、第二の人生を見出した人、さまざまな人生模様です。