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ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part5

・バグを見つけている間はDECへの支払いが免除されるなどというムシのよい契約があるのだろうか

P58:CCCにはリースのPDP-10が1968年に納入された。新年から、このマシンでタイムシェアリングサービスを開始する予定になっていた。それまでの間、つまりユーザーが料金を払って利用し始める前に、TOPS-10をデバッグしなくてはならない。ソフトウェアの信頼性が確保されるまでリース料の支払いは免除されるので、それも、デバッグをする強い動機になっていた。デバッグにあたっては、システムを限界まで使ってくれる人間が必要だった。
と書かれていることから、リース料の支払いが免除されるという事実はあったことがわかります。ただし、「信頼性が確保されるまで」と書かれており、バグがある限り常に免除されるということでもないようです。

 リース料の支払いが免除されなくなったのがいつごろかは明示的には書かれていませんが、
P71:何にせよ、永遠に続くということはない。PDP-10のテストも、やがて終わる日がやってきた。それ以降、私たちもCCCに「一時間いくら」の料金を払わないとコンピュータが使えなくなったのだ。その頃には母親会の資金も底をついていたが、レイクサイドは、コンピュータの利用契約先をCCCに変更した。私たち一人ひとりには、専用のアカウントが与えられることになった。

P72:私たちは常に、使いすぎていないかを心配していなくてはならなかった。料金の請求書は毎月、両親に郵送されるのだが、ライト先生は、その前に、端末の上に利用料のランキング表を掲示した。利用料の多い順に名前を並べた一覧表である。いつも、「トップ3には入っていませんように」と祈っていた。月の利用料が78ドル(今の500ドルくらいにあたる)に達した時には、さすがに青ざめた。両親にどう説明すればいい?だが、ありがたいことに父は至極冷静に受け止めてくれた。「ちょっと多いな、ポール。これが勉強なのはわかってるけど、もう少し減らせないか」と言っただけだ。

P72: 親たちは今のところまだ耐えてくれているが、いずれ忍耐も限界になるだろうと私たちは感じていた。

P72:その年の春の終わり頃、ビルと私はCCCの管理者パスワードを突き止めた。それを使ってレイクサイドからログオンすると、間もなく、探していたものが見つかった。本来、内部の人間だけが見るアカウント管理ファイルである。ACCT.SYSという名前になっていた。

P72:暗号化されているので内容は見られなかった

P72:ACCT.SYSの内容を見たり、修正を加えたりするのには、そのための特殊なプログラムがあるはずと探したのだが、どうしても見つからない。私たちはいったんあきらめて、ファイルを自分たちのディレクトリーにコピーしておき、何か手がかりがつかめたら再挑戦することにした。

P73:しかし再挑戦の機会はついに訪れなかった。数日後私たちはライト先生に呼び出された。行ってみると、驚いたことに、そこにはディック・グルーエンなど、CCCの人間が何人も来ていた。

P73: はじめは、まだ何も悪いことはしていないのだから、叱られる程度で済むだろうと思っていたのだが、甘かった。

P74:CCCの人は「あなた方は、アカウント管理ファイルを盗んだわけですから、追放ということになります」と言った。CCCのコンピュータに関して私たちに与えられていた権限は、少なくとも夏が終わるまで、停止されるという。

P75: 私たちの罪は、11年生の秋になってようやく許された。

とあることから、追放にあったのは、1969年の春の終わりの時期で、この時期には、有料化された後に何か月かの料金支払いをしていることがわかります。ここから、おおむね1969年の2月前後に有料化されたのではなかろうかと推測されます。
CCCのPDP-10を無料で使えるようになった時期は、
P56:11月のはじめコンピュータでブラックジャックをするのにも飽きた頃、ハービーから一つニュースがもたらされた。シアトルのユニバーシティ・ディストリクトに、新たにタイムシェアリングサービスの会社ができたというのだ。
とあることから、1968年の11月以降です。
従って、無料でPDP-10を利用できた期間は4か月程度とみられます。このくらいの期間内にすべてのバグが取れたわけでもないでしょうから、バグがあるかぎりずっとリース料が免除されるというムシのよい話ではなさそうです。この程度の話であれば、CCC社だけが特別に有利な契約を結んだというわけでもなく、ありそうな話ではあります。


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