ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part4
・夜間にCCCに入り浸ることに対して親は何も言わなかったのか
・深夜に徒歩で帰宅するのは危険ではないのか
この疑問に関しては、以下の記述があります。
P66: やがて冬になり、日が経つにつれ、ビルと私の熱心さが、レイクサイドの仲間たちの間でも突出していることが明らかになってきた。とにかく、CCCにいる時間が二人だけ異様に長いのだ。夕食の時間になると、父が車で迎えに来て、家に連れて帰ろうとしたが、私はいつもまだ帰りたくないと渋った。
P67:ビルと私は、よく二人だけで残ってプログラムを書いていた。
P67:私たちは、夜勤のオペレーター以外、全員が帰ってしまうまで粘った。そんな時間になれば、もうバスは終わってしまっているし、父に電話して迎えに来てくれと言うにも遅すぎる。一時間くらい歩いて帰宅するしか方法がないのだ。夜遅く歩いていると、野犬に後をつけられたりもした。両親は、私が友達と一緒にいる限りは安心していたが、夜中に一人で帰るのは心配だったようだ。
と書かれていますので、夜遅くまでプログラミングをしていたということは頻繁にあったようです。親が迎えに来ても、それを断って遅くまで粘り、歩いて帰るということもあったようです。深夜に一人で歩くことに対して親も懸念していたことがわかります。
どういう経路で歩いて帰ったかまでは書かれていませんが、ポール・アレンの自宅については、
P24: 私たち一家はウエッジウッドへと移り住んだ
と書かれています。CCC社に関しては、
P56:シアトルのユニバーシティ・ディストリクトに、新たにタイムシェアリングサービスの会社ができたというのだ。
とあります。ユニバーシティ・ディストリクトというのは、ワシントン大学(University of Washington)の西側の一体で、いわゆる大学街ですので、夜でもそれなりににぎやかで、比較的安全です。ウエッジウッドというのは、ワシントン大学の北側にあります。
私は以前に、ウエッジウッドの近辺に住んでいたことがありますが、確かにワシントン大学周辺から歩くと1時間くらいかかります。シアトルは比較的治安のよい街で、私も夜に出歩くことがありましたが、危険な目にあうことはありませんでした。とは言え、深夜に出歩くのは、あまり望ましくないことは確かです。このころ(1968年)には、今よりも治安はよかったでしょうから、何とか歩け、結果的には幸いにして事件にあうようなことはなかったということなのでしょう。
資料からはここまでしか読み取れません。
CCC社や、ビル・ゲイツとポール・アレンの当時の家の正確な位置と、帰宅経路として推測される道筋については、別の資料を基に、後に詳述します。
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