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ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part24

・レイクサイドスクールから超過分の利用料の支払いを求められたビル・ゲイツの両親たちは何も言わなかったのか。

 明示的に書かれた部分は見当たりませんが、上に引用した
P30:今度の叱責はCCCの比ではなかったので、さしものコンピュータ熱もいささかさめて、もう2度とコンピュータには触れないと約束するほどだった。少なくともそれから1年、ビルは約束を守った。
という箇所での、「約束」の相手とは親であると解釈するのが妥当と思います。

 ちなみに、
P31:CDCのエンジニアに叱責されたビルは、1970年の大半をコンピュータから遠ざかって過ごした。
と書かれてもいます。
 「CDCのエンジニア」というのは、ワシントン大学にCDC社のコンピュータがあったことから出てきた話でしょうが、前述のように、ビル・ゲイツがこの時期にワシントン大学にもぐりこんだということ自体が怪しいので、叱責されたということも事実ではないでしょう。

 そうなると、そもそも親と話がされたかどうかも怪しくなります。

 この疑問点に関しては、本書籍では不明とするしかないと思います。

 ちなみに、ビル・ゲイツが、1970年の大半をコンピュータから遠ざかって過ごしたというのは正しいかもしれません。
ただし、それは、CDCのエンジニアに叱責されたからではなく、CCC社が倒産して、使えるコンピュータがなくなったからと思われます。

 1次文献の年表でわかるように、1970年の3月にCCC社が倒産します。
その後、ポール・アレンは再びワシントン大学にもぐりこみますが、ビル・ゲイツがどうしたのかは1次文献には書かれていません。
コンピュータには触れなかったというのはありえる話です。

 ただ、コンピュータに触れなかったということは正しいかもしれませんが、そこに至る経緯は、本書籍はかなり間違っているようです。

本書籍の記述によると、

・1969年1月ごろ:学校でPDP10コンピュータに初めて触れる
・1969年7月ごろ:CCC社の使用権が停止される
・1969年後半:ワシントン大学にもぐりこむ ネットワークに侵入する
・1969年末あたり:ワシントン大学のコンピュータも使えなくなる
・1970年: コンピュータから遠ざかって過ごす

ということになりますが、1次文献では、ポール・アレンがワシントン大学にもぐりこんでいた時期にビル・ゲイツがコンピュータから遠ざかっていたとすると、

1968年11月:学校でGE-635コンピュータに初めて触れる
1968年12月:CCC社のコンピュータが無料で使えるようになる
1969年2月:CCC社のコンピュータ利用が有料になる
1969年5月:CCC社の使用権が停止される
1969年5月〜8月 おそらくコンピュータから遠ざかる
1969年9月:CCC社の使用が再開
1970年3月:CCC社倒産
1970年3月〜年末ごろ: おそらくコンピュータから遠ざかる

となり、かなり異なります。

年表にまとめると、下のようになります。

月・時期 1次文献 本2次文献
1968 レイクサイドスクールでGE-635のコンピュータが使えるようになる
11月 CCCのPDP-10が無料で使えるようになる
1969 1月 レイクサイドスクールでPDP-10を用いた授業が始まる
2月 CCCのPDP-10の使用が有料になる レイクサイドスクールのコンピュータを使う
3月〜5月 CCCのコンピュータを有料で使う
6月ごろ CCCのPDP-10の使用が禁止される レイクサイドスクールが用意したコンピュータの予算を使い果たす
7月ごろ コンピュータから遠ざかる CCCのPDP-10が無料で使えるようになる
7月末ごろ CCCのPDP-10をクラッシュさせ、使用停止になる
8月 ワシントン大学にもぐりこみ、ネットワークをクラッシュさせる
9月 CCCのPDP-10を再び使えるようになる
10月・11月 CCCのPDP-10を有料で使う
12月ごろ ワシントン大学のコンピュータの使用が禁止される
1970 1月・2月 コンピュータから遠ざかる
3月 CCCが経営破綻
4月〜10月 おそらくコンピュータから遠ざかっている


 こうして比較してみると、やはり、本文献はあてにならないと感じます。

 なお、この表の1次文献の時系列を見ると、ビル・ゲイツがコンピュータから遠ざかっていた時期が、通算で1年弱くらいあることがわかります。
 この時期に、ビル・ゲイツは普通に勉強し、ポール・アレンはワシントン大学にもぐりこんでコンピュータをいじっていたという差が、ビル・ゲイツはハーバード大学に進学できたがポール・アレンはワシントン州立大学にしか入れなかったという差につながったのかもしれません。


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