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ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part25

・CCC社とビル・ゲイツはどこでつながったのか

 これに関して明確な記述はありません。
P28:ビルとポールが現れてDECのプログラミングに精通していると売り込んだとき、CCCのエンジニアたちは半信半疑の面もちだった。
という文章が唐突に出てくるだけです。
 しかし、1次文献によると、彼らはこの時点でGE-635をいじったことがあるだけで、DECのコンピュータは知らないのですから、この記述内容も疑わしいと言わざるを得ません。

・夜間にCCCに入り浸ることに対して親は何も言わなかったのか
・深夜に徒歩で帰宅するのは危険ではないのか

 この点に関しては、本書籍には何の記述もありません

・バグを見つけている間はDECへの支払いが免除されるなどというムシのよい契約があるのだろうか

 これについては、
P27:CCCはDECと一風変わった協定を結んだ。PDP10ソフトウェアのバグを発見しつづけるかぎり、買いとったPDP10の代金支払いを猶予してもらう、という協定である。
という記述はありますが、どうしてこのような協定をCCCが結べたのかという理由は書かれていません

・トラフォデータ時代に、ボーイングの技術者に8008を用いた超小型コンピュータを作ってもらったという話で、なぜボーイングの技術者が唐突に出てくるのか

 これについては、
P36:インテル社の初期生産8008を360ドルで購入した2人は、エレクトロニクス技師に頼んで、トラフォデータ社専用のプログラミング可能なマシンを作ってもらった。
と書かれており、ボーイング社という記述はありません。

・Altair全体のコンピュータアーキテクチャはどこで知ったのか

 これに関する記述はありません。

・ビル・ゲイツが人前で母親に泣きついたりするだろうか

 これに関する記述はありません。



 以上のように、本書にはPart1に挙げた疑問点を解消するような記述はなく、むしろ内容の信頼性に疑問を抱かせる箇所が目立ちます。
上記以外にも、例えば、
P25:1968年秋、ビル・ゲイツはレイクサイド・スクールの8学年生に、親友で15歳のポール・アレンは10学年生になった。
と2歳の年齢差があることが書かれているにもかかわらず、
P34: 1972年の秋に、ポール・アレンはワシントン州立大学に進学した。

P40: 1973年の秋にハーバード大学に入学したとき、ビルは法律を学ぼうと決めていた。
と、大学入学時期に1年の差しかない記述となっています。ポール・アレンが高校を留年したり大学入学時に浪人したという事実はなく、これは、ポール・アレンの大学入学時期を1971年秋とするのが正しいです。

 他にも、
P37:1972年は大統領選挙の年でもある。リチャード・ニクソンの対抗馬はジョージ・マクガバン。イーグル・スカウト隊員だったビルは、マクガバンと組んだイーグルトン候補の陣営で夏休みのアルバイトをした。1個3セントのマクガバン・イーグルトン・バッジを5000個も買いこんで、イーグルトンが民主党副大統領の候補からはずされると、バッジをコレクターズ・アイテムとして売りさばく。2ドル25セントとふっかけたこともあった。この過程でビルのセールス技術と説得力に磨きがかかったのはいうまでもない。
という記述がありますが、副大統領の候補にすらなれなかった人物のバッジにプレミアムがつくというのはおかしな話です。

 これ以上個別には挙げませんが、他にも、本書には、不自然な記述がいくつか見られます。
最終的に、本書の内容は、あまり信用できないということになるかと思います。

 Part1で挙げた疑問点に関しては、本書では、解決しないか、記載がないかです。


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