ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part29
・その他のこと
ポール・アレンが進学した大学について、
P58:アレンは、1971年にレイクサイド・スクールを卒業し、その秋にワシントン州立大学に入学した。
と書かれています。
ここで、ワシントン州立大学というのは、ワシントン大学とは明確に区別されており、たとえば、
P34:父親のケネス・アレンは、20年以上にわたって、ワシントン大学の図書館長補佐をしていたのである。
と書かれています。また、
P64:その後すぐ、ポール・アレンにこのことを伝えようと、ゲイツはプルマンのワシントン州立大学に電話した。
と書かれており、ワシントン州立大学がシアトルでなくプルマンにある大学であることがわかります。
ちなみに、レイクサイド・スクールについては、
P25:レイクサイド・スクールは1967年に、7年生と8年生の生徒からなるロワースクールと、9年生から12年生までの生徒からなるアッパースクールに分かれた。
と書かれており、中学が2年で、高校が4年であったことがわかります。
アルテア向けのBASICを作る際の話として、
P98:ゲイツがBASICのためのコードを書くのに集中している間に、アレンの方はエイケン・コンピュータセンターのPDP-10で、もっと技術的な仕事をしていた。
P98: アルテアを持っていなかったので、アレンはPDP-10に、8080チップの真似をさせなければならなかった。
と書かれており、エミュレータ作成がポール・アレンの担当であったことがわかります。
「マイクロソフト―ソフトウェア帝国誕生の奇跡」で、怪しい話と判断したものについては、以下の記述があります。
まず、ワシントン大学にもぐりこんで、ネットワークを停止させたという話についてです。
P55:ゲイツが、大学にあるコントロールデータ社(CDC)のコンピュータで、CDCが運営しているコンピュータの全国ネットであるサイバーネットに侵入してこのシステムをクラッシュしたといううわさが流れた。
P55:だが、1968年にCDCのコンピュータを大学に設置したシステムプログラマによると、それはサイバーネットにはつながっていなかったので、ゲイツがこのネットワークに侵入しようとしてもできなかったはずだと言う。
P56:ゲイツはこの件について、次のように語っている。「大学にあったCDCの周辺プロセッサのことは知っていた。けれどもサイバーネットのクラッシュには僕は関係がない。もっとも自分たちがやったと言っている連中を知ってはいるがね。」
と書かれています。従って、ワシントン大学にもぐりこんでコンピュータネットワークをクラッシュさせたという話は、事実ではないようです。
次に、大統領選挙に関連して、バッジを売った話についてです。
P61:ゲイツは1個5セントで五千個のマクガバンとイーグルトン両候補のボタンを買った。しめて250ドルである。ジョージ・マクガバンがトーマス・イーグルトンを副大統領の候補から降ろしたとき、ゲイツは稀少なものとして価値が出たボタンを、収集家向けに1個25ドルで売りさばいて、数千ドルの利益を上げた。
という記述があります。
おおむね、「マイクロソフト―ソフトウェア帝国誕生の奇跡」と同様の話が書かれていますが、原価が、3セントであったものが5セントになっていたり、売値が、最大でも2ドル25セントであったものが25ドルになっていたりと、細かい数値が合っていません。
やはり、この話は怪しいです。
以上が、「ビル・ゲイツ―巨大ソフトウェア帝国を築いた男」から読み取れる内容です。
結論として、この書籍は、「マイクロソフト―ソフトウェア帝国誕生の奇跡」よりは信用できるものの、著者がストーリーを構成したと思われる箇所や、不自然な記述が含まれており、全体的にはそれほど信頼できるものではないと思います。
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