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ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part28

・夜間にCCCに入り浸ることに対して親は何も言わなかったのか
・深夜に徒歩で帰宅するのは危険ではないのか

 これについては、
P40:少年たちが仕事を終えるのは、真夜中を過ぎることがよくあった。ゲイツは、ふだんは自宅まで歩いて帰った。ときどき、親たちの誰かが車で通り合わせて少年たち全員を送ってくれた。
と書かれており、1次文献と一致しています。

・バグを見つけている間はDECへの支払いが免除されるなどというムシのよい契約があるのだろうか

 そういう特別な契約があったという記述自体が、本書にはありません。

・トラフォデータ時代に、ボーイングの技術者に8008を用いた超小型コンピュータを作ってもらったという話で、なぜボーイングの技術者が唐突に出てくるのか

 これに関しては、
P59: ハードウェアの設計を支援してもらうため、ボーイング社のある技師を雇った。
と書かれています。しかし、ボーイング社の技師とどうやって知り合ったのかは書かれていません。

・Altair全体のコンピュータアーキテクチャはどこで知ったのか

 これについては、
P101:すでにアルバカーキーのMITSの技術者たちと数回ミーティングを行い、『ポピュラー・エレクトロニクス』の記事には出ていないようなアルテアについての情報を入手していた。
と書かれています。ポピュラー・エレクトロニクス誌の記事以上の情報を持っていたということです。ただし、ミーティングといっても、直接MITS社に行ったということではないようです。後にBASICを完成させて、そのデモのためにアルバカーキーまで行った時の話として
P102:エド・ロバーツは空港にアレンを出迎えた。彼は旧式なトラックを運転していた。アレンはアルバカーキーに到着したときに誰に会えばいいのか知らなかった。そのため、出迎えに来た大男を見てびっくりした。
と書かれており、デモをするときまで一回も会ったことがなかったことがわかります。おそらくミーティングというのは、電話等で問い合わせをしたといったものであろうと思われます。

・ビル・ゲイツが人前で母親に泣きついたりするだろうか

 これについては、
P59:メアリー・ゲイツの回想によると、家の食堂で息子が市の職員相手にコンピュータで交通量測定の実演をしていたあるとき、コンピュータがクラッシュして、その職員ががっかりした顔を見せた。ビルは母親に頼んだ。「お母さん、この人に言ってやってよ、これは本当に動くんだって!」
と書かれています。この発言からすると、普通に考えれば、ビル・ゲイツが小学生か、せいぜい中学生の前半くらいの、ほほえましいエピソードと思うでしょう。
 しかし、この機械を作るために、
P59:ゲイツは360ドルを出し、アレンはインテル社の新しい8008マイクロプロセッサチップを購入した。
と書かれており、8008は1972年に発売されていますから、ビル・ゲイツは高校2年生以上にはなっています。母親に泣きつくというのは不自然です。
 ちなみに、1次文献によると、これはビル・ゲイツが大学生の時の話ですので、なおのこと不自然です。

 ただ、この話の出所が母親であることがわかります。これ以上の解釈はこの文献からはできず、別の文献をあたる必要があります。これについては、後述します


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