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ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part33

・ビル・ゲイツが人前で母親に泣きついたりするだろうか

 これについては以下の記述があります。
P148:ポール・ギルバートの8008ハードはほぼ完成した。同様に、ビル・ゲイツのソフトもできたが、会社はまだ交通量テープを自動的に読み取る装置をつくっていなかった。ビル・ゲイツの父親の発明家が一つの案を考えだした。この会社の若い重役たちが「スクイーズ読み取り機」と称したもので、孔に通した硬化ゴムのフィンガーをひねることによって、テープの孔を推定するというものだった。

P148: このスクイーズ読み取り機は、1974年の初夏、ビル・ゲイツ家の居間で忘れられない場面を演じることになった。

P148:だが、いざ実演となると、スクイーズ読み取り機は無残にも動かなかった。ビル・ゲイツはあわてて母親に加勢を求めた。「母さん、あの人に言ってやってよ!昨夜はちゃんと動いたって!」
 このように確かに書かれていますが、1974年初夏の話であり、このときにビル・ゲイツは大学生になっています。
 「母さん、あの人に言ってやってよ!昨夜はちゃんと動いたって!」と言ったという話を聞けば、普通の人は、これはビル・ゲイツが小学生かせいぜい中学生の前半までの、少年時のほほえましい話と思うでしょう。しかし、これは、大学生の時の話です。こういうことを言うとは不自然です。

 では、この話はどこから出てきたのでしょうか。かぎは、本書籍の冒頭にあります。

 冒頭のプロローグには以下のように書かれています。
P7:1990年5月22日に、ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ―よく3世と呼ばれるが、実際は4世、正式にはただのウィリアム・ヘンリー―は、コンピュータ産業にまたしても変化をもたらそうとしていた。

P25:そろいの制服のような<ウィンドウズ>のポロシャツを着こんだ雑多な一団―髪はもじゃもじゃでジーパンをはいたいかす若者たち(そして女性が2人)―は、<ウィンドウズ3>の箱を振りかざしながら、ゆっくり通路を練り歩いていた。

P29:会場の聴衆にまじって、彼の母親、メアリー・ゲイツが微笑んでいた。このアメリカ全土にまたがる国際的な発表は、彼女が覚えている15年前のものにくらべれば格段の進歩だった。あのときの実演は、自宅の居間でのものだったが、すべてがうまくいかず、息子は困惑した顧客の前で彼女の助けを求めたのだった。「母さん、あの人に言ってやってよ、昨夜はちゃんと動いたって!」
つまり、Windows3を発表する場において、母親が言ったことであることがわかります。

 そういう場において記者からコメントを求められた場合、気の利いたジョークか面白いエピソードを披露することが暗に求められるでしょう。これは、そのような場で披露された、ある程度事実をベースにして、話を面白おかしく表現したものと思われます。

 推測になりますが、実際には、自宅において、以下のような会話がかわされたのではないでしょうか。
(顧客が帰り、ビル・ゲイツが母親のいるところに来る。)
母親: 「どう、ビル、うまくいった」
ビル: 「いや、ダメだったよ。機械が動かなくってね。」
母親: 「あら、そうなの、それは残念ね。昨日の夜はちゃんと動いていたのにね。」
ビル: 「そうだろう。母さんが来て、あの人に昨夜はちゃんと動いたって言ってくれたら、契約が成立したかもしれないね。」
 もちろん、最後の言葉は、母親がそう言ってくれたら取引が成立したと本当に思っているわけではなく、ジョークを込めた、ビル・ゲイツの愚痴です。

 実際には、こんな感じのことがあって、それを母親が面白おかしく脚色して記者に披露したのだろうと思います。


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