ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part34
その他
上記のP148にある、1974年初夏の話に続いて、以下のように書かれています。
P148:ワシントン大学の自治会役員をしていた姉のクリスティの肝煎りで、彼は夏のあいだ学生自治会主催の、規則に縛られず誰でも参加できる実験大学の登録をコンピュータ化する仕事にたずさわり、シアトルのパシフィック・カレッジにあるDEC社の「PDP-11」を使ってプログラムを書いた。つまらない仕事で、レークサイド校の時間割よりもずっと簡単だったが、その仕事をやったことで、ビル・ゲイツはいままで出会った<BASIC>のなかで最高の、<RSTS-11 BASICプラス>と呼ばれる第一級のプログラミング言語に親しんだ。
つまり、MITS社のアルテア用にBASICを作る約半年前である1974年の夏に、PDP-11上のBASICを使ったということです。
そして、アルテア用のBASICを作る際のこととして、以下のように書かれています。
P172:ビル・ゲイツは、<BASIC>そのものに専念した。何を入れ何を省くかは、大事なことだった。
P173: しかし、ビル・ゲイツは悩まなかった。彼は近道をとって、現在使われている最も高性能な<BASIC>、DEC社の<RSTS-11 BASICプラス>の特性セットを改作した。
つまり、PDP-11上のBASICをお手本として、アルテア用のBASICを作ったのです。
CCC社のPDP-10を使用禁止にされていた期間の話として、ポール・アレンの以下の言葉が引用されています。
P86:「新しい学期が始まってビルに会ったとき、『やあ、ポール・アレン、夏のあいだにプログラミングをしたかい』と聞かれた。『実を言うと、やっていたよ』と答えると、「僕に教えてくれなかったんだな!ただで使える回線を見つけて、夏のあいだずっとプログラミングしていたというのか?」と言った・・・・・ひどく頭にきていたようだった」
この期間中に、ビル・ゲイツはコンピュータに触れていなかったことがわかります。
この期間にワシントン大学にもぐりこんでコンピュータネットワークをクラッシュさせたという話は、本書には書かれていません。
また、大統領選挙に関連して、バッジで儲けたという話については、以下のように書かれています。
P119:ビル・ゲイツによると、「そのとき、ふと思いついた。あのバッジを買っておけば金もうけができる」と考えたのだという。
P120: この物語はどうも辻つまが合わない。
P120: おまけに、バッジは稀少価値を生ずるほど品薄の商品ではなかった。
P121:ビル・ゲイツのマクガヴァン・バッジによる「もうけ話」は、長い年月のうちにマスコミで尾ひれがついたものであり、レークサイド校の下級生のころに彼がやったと伝えられるコンピュータゲーム、<モノポリー>の「数十億」と同じ程度の話だろうと思われる。
P121:いかに成功しても、どれほど金持ちになっても、現実の業績だけでは重みに欠けるかのように、話を大きくして自分のやったことを誇大に吹聴するというのは、彼のいささか不安定な性格の一面として残ることになるのである。
つまり、この話の出所はビル・ゲイツ自身であり、おそらく事実ではないだろうということです。
「帝王の誕生」から読み取れる内容は以上です。
全体として、1次文献と一致している内容が多く、信用してよいものと思われます。
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