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ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part30

 ここまでに見てきた2冊の2次文献の内容から、以下のように判断できます。

 「パソコン創世記」に書かれている、以下の点
• 中学生の時に、通っていたレイクサイドスクールという学校が、GEとコンピュータの時間借り契約を結び、DECのPDP-10を時間借りできることになった。
• ビル・ゲイツと上級生のポール・アレン他の数名がコンピュータに夢中になった。
• コンピュータの使用料として準備された予算をあっという間に使い切り、さらに予算を超えて使用した。
• 学校は予算超過分の費用をビル・ゲイツの両親等に請求した。
• CCC社で夜間や週末に無料でPDP-10を使えることになった。
• CCC社はPDP-10のバグを見つけている間は使用料が免除される契約をDECと結んでおり、ビル・ゲイツらをバグ発見に利用した。
• その後ポール・アレンは地元シアトルのワシントン州立大学に進学。
• ビル・ゲイツが高校生の時に、ポール・アレンとトラフォデータ社を創業。
• ボーイングの技術者に依頼して小型コンピュータを作ってもらった。
• ハーバード大学の学生の時に、MITS社のコンピュータであるAltair向けのBASICを作った。
• Altairの実機は持っておらず、PDP-10上でIntel 8080CPUのエミュレータを作成して、BASICを作った。

は、「地元シアトルの」という部分以外は、「マイクロソフト―ソフトウェア帝国誕生の奇跡」か「ビル・ゲイツ―巨大ソフトウェア帝国を築いた男」の少なくとも一方には書かれており、この2冊をもとにして書かれているものと考えられます。

 これらの2冊は、必ずしも信用できるものではありません。
 従って、「パソコン創世記」の内容も、必ずしも信用できないということになります。

 「地元シアトルの」という部分は、どの文献にも書かれておらず、「パソコン創世記」の著者が書いたものと思われますが、これも間違った内容です。


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