ビル・ゲイツ初期の経歴を再検証 --- Part31
最後に、スティーブン・メインズ&ポール・アンドルーズ著 「帝王の誕生」 三田出版会
を見ていきます。
これは、最初は単行本として出版されていますが、現在は「帝王ビル・ゲイツの誕生」というタイトルで中公文庫から出版されています。文庫本の方が手に入れやすいので、以下では、引用時には文庫本のページ数を書くことにします。
この本は、巻末に多数の参考文献を上げており、また、あとがきによると、ビル・ゲイツにインタビューを3度行い、他のマイクロソフト関係者にも何度も取材を行っているということです。ただし、文中に書かれている個々の事柄のソースが何であるかは、個別には示されていません。
・なぜGEが他社のDEC製PDP-10を時間貸ししていたのか
P69:最初、テレタイプは市内回線でGE社のマーク2・タイムシェアリング・コンピュータに接続していた。
と書かれています。DECのPDP-10ではなかったわけで、この疑問自体が無意味ということになります。
・ビル・ゲイツら数人の生徒が、コンピュータの利用料をすべて使ってしまったことに、他の親は文句を言わなかったのか。
母親の会に関係して以下のことが書かれています。
P68:普通のがらくたよりも上等な品物を売っていつも数千ドルの利益を上げ、クラブの役員はそれを学校で進められている有意義な企画に分配した。1968年には、レークサイド校のコンピュータ利用計画が企画の1つに選ばれた。
P70: レークサイド校にはコンピュータの正規の授業がなかった。
あくまでも、やる気のある人を支援するプロジェクトだったので、問題にはされなかったのでしょう。
・レイクサイドスクールから超過分の利用料の支払いを求められたビル・ゲイツの両親たちは何も言わなかったのか。
超過分の支払いを求められたという話自体が書かれていません。
・CCC社とビル・ゲイツはどこでつながったのか
これについては、以下のように書かれています。
P73:Cキューブド社の設立者の1人で、会社の総務を担当していたモニク・ロナには、レークサイド校でビル・ゲイツより1年上級のトムという息子があり、彼女が学校との橋渡しをつとめた。
この内容は、1次文献と一致しています。
ただし、「ビル・ゲイツ―巨大ソフトウェア帝国を築いた男」には息子がビル・ゲイツと同級生であると書かれており、本書の1年上級生という記述とは一致しません。
CCCでコンピュータが無料で使えるようになった経緯の時系列については、以下のように書かれています。
P72: 学校のコンピュータ予算はたちまち底をつきかけた。
P72: 数週間のうちに、奇跡のようなありがたい話が舞いこんできた。
P73:彼女が考えたのは、生徒たちを連れてきてコンピュータを使わせながら、システムのソフトを試し、厄介な“バグ”探しを手伝わせようということだった。
P73: コンピュータ時間が無料になる!ビル・ゲイツにとってはまさに「棚からぼた餅」だった。
これは、1次文献と一致しています。学校でコンピュータを使い始めてまもなくCCCでコンピュータを無料で使う機会が与えられたのであり、他の2次文献のように、学校がCCCと契約してコンピュータ時間を買うようになってからしばらくたった後に無料でコンピュータを使う機会が与えられたのではありません。
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