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WindowsとUNIXは親戚関係

現在主に使われているOSはWindowsとUNIX系統です。
Windowsはご存じのとおりパソコン用OSとして圧倒的なシェアを占めていますし、UNIXはAndroidやiOSがその一種です。サーバ用途にはUNIXが一般的でしょう。
Windowsが嫌いでUNIXを使うという人も少なくありません。
私自身はそれほどOSにこだわりはなく、そこにあるものを使うという感じですが、いろいろこだわる人もいるようです。

ただ、UNIXとWindowsはある意味で親戚関係にあると言えなくもありません。
UNIXがPDP-7というDEC社のトランジスタ式コンピュータ上で最初に開発され、その後PDP-11というコンピュータの上で発展したということは以前に書きました
いわば、UNIXはPDP-11上のサードパーティー製OSであったわけです。

それではPDP-11の公式OSとは何だったのでしょうか。
実は、DEC社が出していた公式OSは一つではなく、多数あります。
RSTS, RSX-11, RT-11などで、得意分野に応じていろいろあるという感じだったようです。

主として使われていたのはRSX-11とRSTSだったようですが、RSX-11の開発に関わった人物にカトラーという人がいます。
彼は、PDP-11の後継機種であるVAXの公式OSであるVMSの開発リーダーに抜擢されます。
多数のOSが乱立気味であったPDP-11の反省を踏まえて、VAXではきちんとした公式OSを一つだけ作ろうということになってカトラーがその任にあたりました。

ちなみにUNIXもPDP-11の後の公式サポートマシンはVAXでした。
1970年代の終わりごろまでは、UNIXはDEC社のマシン上でのみ動くOSであったわけです。

カトラーが作ったVMSは評判がよく、カトラーの名声が高まります。
しかし、カトラーはエネルギーにあふれた人物であると同時に、かなり攻撃的な人格であったようで、お世辞にも紳士ではなく、上司に罵声を浴びせたりすることも少なくなかったそうです。
そういうわけで、DEC社の上層部のカトラーに対する印象は必ずしも良くなかったようです。
結局、カトラーはVMS完成後には社内で好きにしていいよと言われて、側近を連れて、研究所を作ったりしていましたが、窓際に追いやられていたという印象が強かったようです。

そこに目を付けたのがマイクロソフト社です。
うまく話をつけてカトラーを引き抜くことに成功します。
当時のマイクロソフト社製OSは16ビットベースのチャチな感じが付きまとうもので、いずれはきちんとしたOSに切り替えねばならないとビル・ゲイツたちは考えていました。
そこに転がり込んできたのがカトラーの移籍話で、これにマイクロソフト社が飛びつきます。

結果的に言えば、ビル・ゲイツより10歳以上年上のカトラーにとって、マイクロソフト社に移籍したことは成功であったようです。
ビル・ゲイツはカトラーに一目置き比較的自由にさせましたし、カトラーも、上司と言っても相当に歳下のビル・ゲイツに対しては、悪態をついたり攻撃的な姿勢に出たりすることは少なかったようです。

こうして多少の紆余曲折がありつつもできたものがWindowsNTであり、現在のWindowsの直系の先祖です。
WindowsNTの設計はVMSとよく似ていると言われています。
WNTはVMSを1字ずらしたものという説もあるくらいです。

カトラーに去られた側のDEC社自身もWindowsNTに関心を持ち、DEC社の製造したAlphaという64bitのCPU上でWindowsNTが動くようにしています。
DEC社のUNIXに対する態度は微妙で、VMSを公式のOSとしつつもUltrixという主としてVAX向けのUNIXを出したりしています。
ただ、Ultrixに対する熱意はそれほど高くなかったようです。
VMSは嫡子、UNIXは庶子という感じの扱いでしょうか。

その意味では、VMSの子孫にあたるWindowsは、正当なるご本家嫡流のご子孫様です。(右図参照)
いわば、Windowsは皇太子の系統で、UNIXはナントカノ宮家という感じでしょうか。

ただ、どこでもそうですが、正当なる嫡流は何かと制約が多く不自由なことが多いのに対して、庶流はほったらかしというか、ある意味で自由なことが多いものです。
UNIXはDEC社の枠組みを離れて、様々なコンピュータ上で使われていきますが、VMSはあくまでもDEC社限定であり、Windowsもマイクロソフト社ががっちり押さえています。

どちらが良いとは一概に言えない部分がありますが、UNIXの場合、様々なメーカーにより互換性の乏しい亜流がいろいろ出てきて互いに足を引っ張り合った印象があるのに対し、Windowsはマイクロソフト社の一元管理という安心感のもとで市場に食い込んでいったという感じがあります。

このように、PDP-11の頃にまでさかのぼれば、WindowsとUNIXは親戚同士という側面がなくはありません。
ただ、現在のUNIXに当初のPDP-11のころのコードは残っていないでしょうし、WindowsもカトラーがDEC社を離れた時点でVMSのソースはDEC社においてきており、ソース自体はゼロから作り直しているはずです。
また、ドッグイヤーなどと言われて変化の多いIT分野で40年以上前のルーツが同じだから親戚というのは、平家と源氏はどちらも天皇家から分かれて出てきたから親戚だというのと同程度に無理があるかもしれません。
まあでも、ルーツは同じなのですから、あまり片方だけに肩入れしても意味はないかなとも思うのです。
バージョンが上がるたびに操作方法が変わるWindowsにはイラつくことも多いですが、UNIXでも似たようなことはありますし、Windowsレベルの巨大なソフトウエアーをそれなりにきちんと管理しているというのは正当に評価されてよいと思います。

ちなみに、WindowsNTの開発経緯については、闘うプログラマーという本に詳しく記述されています。
これを読めばUNIX礼賛の人でもWindows愛は芽生えないまでも、ある程度印象を変えるのではないでしょうか。
また、マイクロソフト社も以前はXenixというUNIX系統のOSを開発していました。
世の中、Windows vs UNIXと二元対立的にとらえられるほど単純ではないわけです。



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