誤りのあるサイト・書籍など --- Part2
続いては、「IT業界の開拓者たち」と「IT業界の冒険者たち」です。
Web上では、
http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/index/index_gyoukai.html
と
http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/index/index_adventurer.html
で読めます。
本ブログに関係するのは、DEC社のケン・オルセン、UNIXに関係してケン・トンプソン、パソコンに関係してビル・ゲイツ、ポール・アレン、ゲアリー・キルドールです。
これらの記事は、ソフトバンクパブリッシングから出版された脇英世氏の著作の内容をWeb上に載せたもので、各書籍を読むと、1994年10月から2001年3月までHello! PC誌およびPC User誌に連載された「脇英世のパソコン快人伝」をもとにしていることがわかります。
つまり、もとは雑誌の連載です。雑誌の連載が好評で単行本になり、Web上にも掲載されるようになったということなのでしょう。
本ブログのタイトルは、「誤りのあるサイト・書籍など」ですが、公正を期するために、以下のことを申し上げておきます。
- 一連の脇氏の記事は面白いです。だから連載が長く続き、単行本化されたのでしょう。
- 著者の方は、参考文献に基づいて一連の記事を書いています。多くの場合、記事内の誤りは、おおもとの参考文献内にあった誤りです。その意味で、著者の脇氏には誤りの責任はないとも言えます。
- 雑誌の連載が書かれた主として1990年代は、現在ほどWebが発達していません。当時の状況を考えると、多数の文献を比較して、個々の誤りを見出すというのは困難であったと思います。
- アマゾンで調べると、脇氏は多数の著作を書いておられます。その大部分はパソコンに関するもので、ミニコンピュータやUNIXワークステーションに関するものはほとんどありません。関心が低いと思われるミニコンピュータ等の分野で多少の誤りが含まれるのは仕方がないと思います。
- 一連の記事は、幅広い分野をカバーしています。個人で、これだけの分野を誤りなく記述するというのはほとんど不可能であろうと思います。むしろ、この程度の誤りですんでいるということを評価すべきと思います。
- 著者の方は、本業は大学の教授のようです。本業の合間に、これだけの量の著作を書くというのは、すごいことです。
では、DEC社のケン・オルセンの記事から見ていきます。
単行本では、「IT業界の開拓者たち」のP102に書いてあり、元はHello! PCの1998年1月8日号に掲載された記事です。
Web上では、
http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/gyoukai/016/01.html
http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/gyoukai/016/02.html
で読めます。
スミソニアン博物館向けのインタビューでケン・オルセンが語った長い話を要約すると
と書いてありますので、スミソニアン博物館の記事
http://americanhistory.si.edu/comphist/olsen.html
を参考にしているようです。
さて、Webでの脇氏の記事の2ページ目に、
PDP-1が発表されると、ITTやNASAから膨大な数の注文がきた。ケン・オルセンはこれを断ったといっている。会社があまりにも急激に大きくなると、あっという間につぶれてしまうと考えたからだと説明している。ただ別の資料ではITTの大量注文を受けたことになっている。
と書かれています。
この文章は、
・ITTとNASAから製造依頼があった。
・両方とも断った。
・しかし、別の資料によるとITTからの製造依頼は受けており、詳細が不明。
と読めます。
しかし、元の参考文献では、
We had large orders from ITT, for telephone, telegraph type systems. They decided to go out of that business, which left us with more production than we had orders for. At the same time, NASA was getting ready for their big projects and they wanted to buy 100 computers. And I said, no.
と書かれています。これは、
・ITTからの製造依頼は受けた。
・NASAからの100台の製造依頼は断った。
という内容です。"no"といった相手はNASAだけです。
英文の理解に間違いがあると思われます。
「別の資料」が何であるかは書かれていませんが、同一文献の"Digital Customers Developing Software"の節に
The American International Telephone & Telegraph bought a large number of them
と書かれており、ITTが重要顧客であったことがわかります。
DEC社の幹部であったゴードン・ベルが書いた"Computer Engineering"には、P139に顧客として、
Lawrence Livermore Laboratory, Bolt Beranek and Newman (BBN), Atomic Energy of Canada, International Telephone and Telegraph (ITT)
が挙げられており、
Nearly half of the PDP-1s constructed were used, as the ADX 7300, for the ITT message switching application.
とも書かれています。
PDP-1は50台くらい売れたので、ITTにはその約半分の25台くらいを売ったことになります。
なお、記事には
膨大な数の注文
と書かれています。「膨大な」という言葉に対応する英語というと、"enormous amount of"などを思いつきますが、参考文献では単に、"large order"であり、「多量の注文」です。ちょっと訳語が勇み足かなという感じがします。
ちなみに、ITTに売った台数は25台であり、NASAからの製造依頼は100台です。今とは時代が違うとはいえ、IBMのコンピュータは1万台くらい売れていたりするのですから、「膨大」という表現はやはり誤解を招きかねないと思います。
この、NASAからの依頼を断ったという話は、DEC社の経営姿勢を考えると、納得のいく話です。
P.Ceruzzi著 "A History of Modern Computing"の第4章の"DEC Culture"という節には、DEC社は、他のコンピュータメーカーたとえばCDC社のように市場で規模の大きい資金調達をして急成長するといったことをせず、堅実な経営を心がけ、むしろマーケティングを軽視するような姿勢を見せていたことが記述されています。
そういった姿勢を考えるならば、当時のDEC社の生産能力を考えると、NASAの100台という依頼を受けるには人や設備の増強が必要で、継続的な受注が見込めるかどうかがわからない以上そういった危険なことをすべきではないと判断するのは妥当のように思えます。ITTの25台程度の話であれば受けられたということなのでしょう。
次に、
国防総省へはDECのコンピュータは売らなかったともいっている。経理上の問題があり、国防総省関係には売らなかったというのだ。しかし実際には、国防総省はDECの大きな収入源であったはずである。この人の話は所々つじつまの合わないことがある。
と書かれています。「はずである」と書いてありますが、その根拠は示されていません。
先に挙げた、
Lawrence Livermore Laboratory, Bolt Beranek and Newman (BBN), Atomic Energy of Canada, International Telephone and Telegraph (ITT)
にも国防総省は含まれていません。私がこれまでにDEC社に関して読んだことがある文献で、PDP-1を製造していたころにDEC社が直接国防総省に納品したという話は見たことがありません。
上記の記事内容は、元の文献では、
When we started, we had the policy that we wouldn't sell to the Defense Department. [For reasons of] the accounting they demand, not [that we were] pacifists.
と書かれており、国防に関連した民間企業など国防関係すべてに売らなかったのではなく、国防総省に直接売らなかったということです。
Lawrence Livermore Laboratoryあたりには、国防総省の研究補助金が入っている可能性がありますが、DEC社は国防総省が要求する会計基準を満たす作業を嫌って直接取引を避けているわけですから、Lawrence Livermore Laboratoryに納品するのは問題ないわけです。国防総省の会計の問題はLawrence Livermore Laboratoryがすることです。
場所が前後しますが、
PDP-1は新しいタイプのコンピュータであった。12万ドルと当時のコンピュータとしては極めて安く、簡素で高速だった。
という記述があります。元の文献では、
it was simple, easy to use,
や
the price was relatively low.
と書かれています。簡素で高速は良いとして、"relatively low"を「極めて安く」と表現するのは無理があります。
以前に書きましたように、PDP-1が販売されていた当時、価格がPDP-1の4分の1のコンピュータもあったわけで、極めて安いのではなく、価格性能比で見ればお得ということであろうと思います。
ケン・オルセンの記事に関しては以上です。
DEC社に関係して、ゲアリー・キルドールの話、
http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/adventurer/057/01.html
(単行本では、「IT業界の冒険者たち」のP366で、元はPC Userの2000年3月号に掲載された記事です)
には、
CP/MはDECのOS、PDP-10 VMSに影響を受けていたといわれる。
と書かれています。しかし、PDP-10 VMSというOSは存在しません。
PDP-10のOSはTOPS-10やTOPS-20ですし、VMSはVAXのOSです。
http://www.cadigital.com/kildall.htm
に全く同じ記述があるので、参考にした文献にもともとあった間違いなのだと思いますが、DEC社のコンピュータのことをある程度知っていれば気がつく間違いであり、著者の方がDEC社の製品にそれほど関心を持っていないであろうことが推察されます。
次回はUNIXをとりあげます。
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