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誤りのあるサイト・書籍など --- Part3


 前回に引き続いて、脇英世氏の「IT業界の開拓者たち」をとりあげます。

 今回はUNIXに関係してケン・トンプソンの記事です。
 単行本では、「IT業界の開拓者たち」のP342で、元はPC Userの1999年6月24日号に掲載された記事です。
 Webでは、
http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/gyoukai/054/01.html
http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/gyoukai/054/02.html
で読めます。

UNIX第1版はPDP-7、PDP-9用で、UNIX第2版はPDP-11/20用、UNIX第3版はPDP-11/34/40/45/60/70用、UNIX第4版はPDP-11/70用である。UNIXがゲームやワープロなどの趣味的な色彩を払拭し、OSとしての完成度を見せ始めるのは、UNIX第5版を経て1976年のUNIX第6版あたりになってからである。
と書かれていますが、UNIX初期の歴史再検証 ---Part1で述べたとおり、この記述には問題があります。
UNIXがPDP-9で動いたという記録はありませんし、初期のUNIXに関するWikipediaの記述を見ると、第4版は1973年であり、PDP-11/70が発売された1975年より前になり、UNIX第4版はPDP-11/70用であるという上記記述と整合性が取れません。

UNIX初期の歴史再検証 --- Part8で書いたように、UNIXのバージョンのつけ方には、公式マニュアルのエディション番号によるものと、ケン・トンプソン等の論文に書かれているように対応ハードウェアの種類によるものの2通りがあります。
2通りの対応をつけると、
論文内のバージョン   公式マニュアルのバージョン
バージョン1 バージョン0
バージョン2 バージョン1,2
バージョン3 バージョン3,4,5,6
バージョン4 バージョン7
になります。
上記の記述では、この2通りのバージョンが混在してしまっています。
UNIX第1版はPDP-7、PDP-9用で、UNIX第2版はPDP-11/20用、UNIX第3版はPDP-11/34/40/45/60/70用、UNIX第4版はPDP-11/70用である。
の部分は論文内のバージョンのつけ方であり、
UNIXがゲームやワープロなどの趣味的な色彩を払拭し、OSとしての完成度を見せ始めるのは、UNIX第5版を経て1976年のUNIX第6版あたりになってからである。
の部分は公式マニュアルに基づくバージョンのつけ方です。

論文にあるバージョンに従うならば、ここは
UNIX第1版はPDP-7用で、UNIX第2版はPDP-11/20用、UNIX第3版はPDP-11/34/40/45/60/70用、UNIX第4版はPDP-11/70用である。UNIXがゲームやワープロなどの趣味的な色彩を払拭し、OSとしての完成度を見せ始めるのは、UNIX第3版の末期あたりになってからである。
とするのが正しく、公式マニュアルのエディションに基づくバージョン番号を使うならば、
UNIX第1版と第2版はPDP-11/20用で、UNIX第3版と第4版と第5版は主にPDP-11/45用、UNIX第6版と第7版はPDP-11/70等用である。UNIXがゲームやワープロなどの趣味的な色彩を払拭し、OSとしての完成度を見せ始めるのは、1975年のUNIX第6版あたりになってからである。
とするのが正しいです。


この他にも、細かい間違いがあります。
GEの撤退により、AT&Tベル研究所もMULTICS計画から撤退することになり
と書かれています。
ベル研がMULTICSから撤退したのは1968年末から1969年初頭のあたりであり、GEがハネウェルにコンピュータ部門を売却するのは1970年で、ベル研がMULTICSから撤退する理由としてGEの撤退があったわけではありません。
ハネウェルはMULTICSにかかわり続けますので、その意味でもGEとベル研の撤退とは関係がありません。

スペース・トラベル」を走らせるコンピュータは失われてしまうことになる。ここからがケン・トンプソンの少し変わっているところだが、AT&Tベル研究所内に捨て置かれていたグラフィックス端末用のミニコンピュータPDP-7を見つけてきて、これを「スペース・トラベル」用に使うことになる。
と書かれていますが、以前に見たように、スペース・トラベルをPDP-7に移植した理由は、GE-635上では作業内容が監視されているからであり、GE-635が失われたのが理由ではありません。スペース・トラベルが移植された時期には、GE-635とPDP-7の両方が使える状態でした。

「スペース・トラベル」のプログラムを作っていくうちに、ケン・トンプソンは、いろいろ便利なツールや、ユーティリティ・プログラムを作り出していった。これが一種のファイリング・システムになり、やがてUNIXになっていく。
という記述は、間違いとはいえませんが、スペース・トラベルの関連ツールを作っているうちにUNIXができてきたと誤解されかねない書き方になっています。
スペース・トラベルとUNIXとの関係は定かではありませんが、おそらく直接の関係はなく、スペース・トラベルの移植でPDP-7に慣れていたので、UNIXの製作がスムーズに進んだということであろうと思われます。

 カリフォルニア大学バークレー校にUNIXが導入された話として、
1974年1月、UNIX第7版のテープが届き、大学院生のキース・スタンディフォードがUNIXをインストールした。
と書かれていますが、マニュアルに基づくバージョン番号によるならば、1974年1月にテープが届いたものはUNIX第4版のはずです。
この箇所のすぐ上に、
しかし、1978年のUNIX第7版から非営利目的に限って、テープの実費に近い価格で大学や研究機関に提供された。
という記述があることからすると、「UNIX第7版のテープが届き」という箇所は単なる誤植なのかもしれません。


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